私のコラムはエジプトの話と旅行に持っていく布のバッグのこと。
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L.A.では今年からビニール袋の使用が禁止になりました。
紙製のバッグも10セントで「買うもの」になったのです。今までだって、そのまま捨てるわけでなく、それなりに使い道はいろいろあったんです。![]() |
昔の娘の服の余り布です。 |
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丈夫できれいに仕上げるために、フレンチシームで縫い代処理。 |
だから、小さくたためる袋を車の中やバッグの中など、あちこちに用意しています。
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持ち手に継ぎ目がないので、丈夫。 |
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くるくる丸めて小さくし、バッグに入れておきます。 |
喧騒の都会で日々仕事にあけくれている男がいた。
ある日、自然の豊かな土地に仕事でやってきた。
交渉事もうまくまとまり、帰路につくところだった。
湖の畔でクルマを停め、ほんの少しの休息をとった。
のんびりと釣りをしている男が目に入った。
なかなかいいものだと思って、しばらく眺めていた。
ビジネスマンは、釣り人に話しかけた。
「いいなぁ、この天気のいい午後に釣り三昧とは。
わたしも、仕事をリタイアしたら、
こんなふうに釣りをしたりしながら暮らしたいんだ」
釣りをしている男は、不思議そうな顔で返事をした。
「なにも、仕事をやめてからでなくたって、
こんなこと、いますぐでもできるんでないかい?」
というような話だった。
人生に一段落つけてから、あるいは
すっかり経済的に安定してから、
どんなことをしたいかといえば、あんがい、
なんでもなさそうな趣味の時間だったりもする。
人によっては、そういうことをしたいから、
いまは必死に働いているんだ、と考えているだろう。
だけど、よくよく、よーく考えてみたら、
先の先までそれをすることを延ばす意味ってあるのか?
それを、どうして、いましてはいけないのか?
という、根本的で単純な疑問が生まれるのだ。
釣りがしたいでもいいし、
こどもとたっぷり遊びたいでもいいし、
たくさんの旅がしたいでも、映画がつくりたいでも、
なんでもいいのだけれど、そのことは、
ひょっとしたら「いまやれること」なんじゃないのか。
ぼくは、そう思うようになった。
その思いは、特に東日本大震災のあとで強くなった。
趣味ばかりにかぎらない、復興に関わるお手伝いでも、
なにか縁のあった社会的な活動でも、似たようなものだ。
多忙な日々があっても、豊かさに余裕がなくても、
「いまやれること」なら、いまやったほうがいい。
先の先まで延ばす理由って、案外ないのかもしれないよ。
ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン・3月6日分」より