March 6, 2014

丸めるバッグ

今月のLighthouseが店頭に並んでいます。
私のコラムはエジプトの話と旅行に持っていく布のバッグのこと。
画像をクリックすると拡大します。
L.A.では今年からビニール袋の使用が禁止になりました。
紙製のバッグも10セントで「買うもの」になったのです。今までだって、そのまま捨てるわけでなく、それなりに使い道はいろいろあったんです。
昔の娘の服の余り布です。
でも、買い物に行くたびに10セント払って買うほどのものでもない。布製のバッグを忘れさえしなければいいのですから。
丈夫できれいに仕上げるために、フレンチシームで縫い代処理。
・・・が、よく忘れるんです。
だから、小さくたためる袋を車の中やバッグの中など、あちこちに用意しています。
持ち手に継ぎ目がないので、丈夫。
キッチンでいつも無造作にカゴに放り込んでいたビニール袋のスペースが開いて、すっきりしたのもよい点です。
くるくる丸めて小さくし、バッグに入れておきます。

  喧騒の都会で日々仕事にあけくれている男がいた。
 ある日、自然の豊かな土地に仕事でやってきた。
 交渉事もうまくまとまり、帰路につくところだった。
 湖の畔でクルマを停め、ほんの少しの休息をとった。
 のんびりと釣りをしている男が目に入った。
 なかなかいいものだと思って、しばらく眺めていた。
 ビジネスマンは、釣り人に話しかけた。
 「いいなぁ、この天気のいい午後に釣り三昧とは。
  わたしも、仕事をリタイアしたら、
  こんなふうに釣りをしたりしながら暮らしたいんだ」
 釣りをしている男は、不思議そうな顔で返事をした。
 「なにも、仕事をやめてからでなくたって、
  こんなこと、いますぐでもできるんでないかい?」
 
 というような話だった。
 人生に一段落つけてから、あるいは
 すっかり経済的に安定してから、
 どんなことをしたいかといえば、あんがい、
 なんでもなさそうな趣味の時間だったりもする。
 人によっては、そういうことをしたいから、
 いまは必死に働いているんだ、と考えているだろう。
 だけど、よくよく、よーく考えてみたら、
 先の先までそれをすることを延ばす意味ってあるのか?
 それを、どうして、いましてはいけないのか?
 という、根本的で単純な疑問が生まれるのだ。

 釣りがしたいでもいいし、
 こどもとたっぷり遊びたいでもいいし、
 たくさんの旅がしたいでも、映画がつくりたいでも、
 なんでもいいのだけれど、そのことは、
 ひょっとしたら「いまやれること」なんじゃないのか。
 ぼくは、そう思うようになった。
 その思いは、特に東日本大震災のあとで強くなった。
 趣味ばかりにかぎらない、復興に関わるお手伝いでも、
 なにか縁のあった社会的な活動でも、似たようなものだ。
 多忙な日々があっても、豊かさに余裕がなくても、
 「いまやれること」なら、いまやったほうがいい。
 先の先まで延ばす理由って、案外ないのかもしれないよ。

ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン・3月6日分」より

 
「今日のダーリン」の文章は、たまに「そうそう、まさにその通りだなあ」と唸ってしまうときがあります。今日のもそんなひとつでした。やりたいことがあれば、好きなようにやったらいいし、そもそも、やりたいことがあるというのは幸せなことですよね。
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